2015年10月08日18:57
「一身上の都合」という使いやすい言葉から見る、社会の実情と、論理性
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みなさんこんにちは
先日、友人と電話をしている中で、無性にポッキーが食べたいとの主張をし、不意に買って来たらしいのですが
そんな話を思い出したら僕も食べたくなり、買ってきました
でも買ったことに満足してしまい、食べることはなかったんですよね
こういうことが本当に多くて、家にお菓子が溜まっていきます(笑)
なんとか減らそうとはしているのですが、あと少しでなくなるというときにまた増えるんですよね
ほんと不思議(笑)
でも頑張って消化せねば・・・
そんなわけで、少し面白い記事を見つけたので紹介しようと思います
「一身上の都合により退職はなぜダメなのか。」
http://delete-all.hatenablog.com/entry/2014/12/03/120050
この「一身上の都合」というのはよく耳にする言葉かと思いますが
そもそも「一身上の都合」ってどういうことなのだろうか
いわゆる「自己都合」での退職の際に使われる「定型文」
紹介したブログのように、本当の理由は言わずに使うことが多いため
実際の退職理由など本人しか知らないということも多々ある
「一身上の都合」という便利な言葉で退職理由を片付けると言っても過言ではないだろう
まぁ、辞める際に理由を明記する義務はないのでこういった「慣用句」を用いるのが一般的だが
本来の理由とは間違った方向で捉えられてしまうのはあまり良いことではないだろう
また、こういった社員の情報というのを上司は知らないことが多い
よほどコミュニケーションを取っていれば別だが、社員が上司にプライベートな話や、
会社に対することを言うわけがない
上司は役員であり、組織の人間であり、わかりやすく言うと住んでいる世界が違うわけである
だから社員は役員たちの事情を知らないし、逆も然りで、上司たちも社員の事情を知らない
だから本音を言わないし、結果として「一身上の都合」という便利な言葉で互いの体裁を守っているような気がしてならない
ここからは持論なのだが、会社にはイエスマンがいる
別にイエスマンがダメというわけではない
そういう生き方だし、世渡りの仕方も人それぞれであるから文句は言わない
これをどう扱うかが問題であると提議したい
上司からしたらなんでも言うことを聞いてくれる人間は使いやすい
特に説明もいらないだろう(笑)
逆に反発する人間は使いにくいし、使いたくない
だから使わない
という判断はおろそかであると思う
反発をするということは、意見を持っているということ
正しいか否か以前にそこは重要なポイントだと考える
その物事に対して、自分の意見があるから主張する
正しいと思うから主張する
良い方向に導きたいから主張するのである
ゆえに嫌だから反発するというのは少し間違いでもある
嫌なら反発もしない、意見しない
まぁそれだけが全てでもないですし、あくまでもそういうこともあるよって話です
最後に言えるのは、見放されたら怒られなくなるとはよく言いますが
呆れたら意見も言わなくなるということ
身の回りにいる人の言葉ってけっこう大事だったりしますから、耳を傾けてみるのもいいかもしれないですね
本題からけっこう外れてしまったな(笑)
使いやすい言葉の裏にはつかみにくい事情があるということで
先日、友人と電話をしている中で、無性にポッキーが食べたいとの主張をし、不意に買って来たらしいのですが
そんな話を思い出したら僕も食べたくなり、買ってきました
でも買ったことに満足してしまい、食べることはなかったんですよね
こういうことが本当に多くて、家にお菓子が溜まっていきます(笑)
なんとか減らそうとはしているのですが、あと少しでなくなるというときにまた増えるんですよね
ほんと不思議(笑)
でも頑張って消化せねば・・・
そんなわけで、少し面白い記事を見つけたので紹介しようと思います
「一身上の都合により退職はなぜダメなのか。」
http://delete-all.hatenablog.com/entry/2014/12/03/120050
この「一身上の都合」というのはよく耳にする言葉かと思いますが
そもそも「一身上の都合」ってどういうことなのだろうか
労働者が自らの意思で退職する場合、退職願には具体的事情を記入せず、「一身上の都合により」退職したい旨を記載するのが半ば社会的慣わしとなっている。また、労働法上も退職理由を申告する義務はない。
Wikipedia参照
いわゆる「自己都合」での退職の際に使われる「定型文」
紹介したブログのように、本当の理由は言わずに使うことが多いため
実際の退職理由など本人しか知らないということも多々ある
「一身上の都合」という便利な言葉で退職理由を片付けると言っても過言ではないだろう
まぁ、辞める際に理由を明記する義務はないのでこういった「慣用句」を用いるのが一般的だが
本来の理由とは間違った方向で捉えられてしまうのはあまり良いことではないだろう
また、こういった社員の情報というのを上司は知らないことが多い
よほどコミュニケーションを取っていれば別だが、社員が上司にプライベートな話や、
会社に対することを言うわけがない
上司は役員であり、組織の人間であり、わかりやすく言うと住んでいる世界が違うわけである
だから社員は役員たちの事情を知らないし、逆も然りで、上司たちも社員の事情を知らない
だから本音を言わないし、結果として「一身上の都合」という便利な言葉で互いの体裁を守っているような気がしてならない
ここからは持論なのだが、会社にはイエスマンがいる
別にイエスマンがダメというわけではない
そういう生き方だし、世渡りの仕方も人それぞれであるから文句は言わない
これをどう扱うかが問題であると提議したい
上司からしたらなんでも言うことを聞いてくれる人間は使いやすい
特に説明もいらないだろう(笑)
逆に反発する人間は使いにくいし、使いたくない
だから使わない
という判断はおろそかであると思う
反発をするということは、意見を持っているということ
正しいか否か以前にそこは重要なポイントだと考える
その物事に対して、自分の意見があるから主張する
正しいと思うから主張する
良い方向に導きたいから主張するのである
ゆえに嫌だから反発するというのは少し間違いでもある
嫌なら反発もしない、意見しない
まぁそれだけが全てでもないですし、あくまでもそういうこともあるよって話です
最後に言えるのは、見放されたら怒られなくなるとはよく言いますが
呆れたら意見も言わなくなるということ
身の回りにいる人の言葉ってけっこう大事だったりしますから、耳を傾けてみるのもいいかもしれないですね
本題からけっこう外れてしまったな(笑)
使いやすい言葉の裏にはつかみにくい事情があるということで